イワモトのよろこび1159回

48才
自説ですが12年周期で大きく物事が「ゴロリ」と音を立てて変わってきたように思う・・・。
24才・・・マツダに6年努めてオヤジに呼び戻される。
36才・・・オヤジが他界する
そして48才・・・・・・・・3月16日でなりまして。
次の12年後は60才である。当たり前だが。
30代に比べると体力的には低下気味、酒量も以前に比べたら早めに酔って大虎になる前に眠くなる。
しかしながら、真夜中まで積載車転がしてメールチェックしてネット見て床に入るのは夜明けと競争みたいな生活をここ数年送ってきましたが、このまま30代同様な動き方では遠からずして積載車の運転席で居眠り運転の末に、でっかい事故起こしてアチャ~って叫んでしまう気がしてならなかったのであります。
一人で動いている仕事も、やはり1人ならではの限界点が低くて果たしてこのまま突き進んでいいのやらどうやらジックリと考える時間すらない・・・。
一気に解決するべく手段は何年悩んでも見つからない~!!悲痛であります。
結論:勉強をし直そう!!
毎月3冊以上の本を読んだり、新聞を隅から隅まで朝晩読んだりず~っとしてますが一向に学がつかない。
高校時代も勉強が大嫌い。自薦も他薦も絶対的に勉強嫌い・・・。
しかし、大学付きの高校で進学する仲間が半数以上の中でカッコつかないので、昼間はマツダオート東京 保健課職員として働き、夜は同じ町内の大学へ進学決めたのですが二足草鞋の片一方はどっかうっちゃってしまい、3年在籍して1年生のまま中途退学。
そのまま時間は過ぎて25年以上に月日が流れちゃいました・・・・。
二週間前、先輩から電話が夕方かかってきました「岩本~『学』欲しいだろ~」・・・・。「欲しいっす」即答。
「お前、大学院いこうぜ~!!」「ハイ」と即答しました。
40才過ぎてチャンスがあれば是非とも「もう一度」大学へ行ってみたいとず~っと考えていましたがチャンス到来!
文部科学省の粋な計らいにより社会人にも通える大学院が出来て、おまけに町工場のオヤジさんでも入れるようにって配慮で「社会人経験が9年以上の実務をこなしていれば大学卒業と同等に見なす」という。
一年間頑張って通い等して勉強すると「修士」の称号がもらえるのであります。!!!すごい!!
と云うことで二度の面接による入学試験を受けて、本日晴れて「合格通知」を頂きました。
四月一日からいよいよ大学院生として働きながら勉強してきます。
平日は夕方の6:30から3時間、土曜日は朝から夜まできっちりとお勉強してきます。
12年後に向けて中長期の経営計画の策定と、後半に突入する人生の方向性を今一度勉強を通して見つめ直してきます!!
心配もありますが、それ以上に新たなる学生生活に心がウキウキしています!!
春です!!もうすぐ大好きな桜が咲きます。ちょっとくたびれていますが気持ちはピカピカの新入生として通学してきます!!ア~楽しみ楽しみ!!
イワモトのよろこび1158回
一年半近く楽しくドライブさせてもらった、「ベン太郎」ことベントレーターボRが先日「お嫁入り」しました。
旧クラウンワゴン→ワインレッドのセンチュリー→そして世界最高峰を誇るオーナードライバーカーの頂点ベントレーにと車種を移してきまして思ったことを感想文として書いてみます。
一言で行ってしまえば『乗ってみてよかった」につきます。
最近はNHKでドラマ化されて、一躍脚光をあびるようになりましたが以前より憧れていた男として尊敬できる「白洲次郎」氏。
若かりし頃には英国に留学し、まだ自動車そのものが贅沢品の極みだった当時にあってヨーロッパの自動車レースに参戦してガンガンぶっ飛ばしていたのが「ベントレー」・・・。
現在でこそロールスロイスのオーナーカー版みたいな位置づけになっていますが、元々は大排気量のスポーツカーメーカーであり、当時より大衆車数十台分に値する高額で雲の上の車を製造するメーカーでした。
一昨年の秋・・・・「かなり程度のよいターボRの売りモノが出ましたけれど社長乗ってみませんか」というラッキーな話をもらい、直ぐに「乗る乗る」とその気になる!!
IWAMOTOが、まだ小学校低学年の頃オヤジが出物が出たから買いに行く!!付いてこい!!と連れられて向かったのは山梨県甲府市でした。
大きなお寺さんのこれまた広い敷地内にある大きな屋根付き駐車場の扉をあけてみると!!何と見たことない様なでっかいクラシックカーが5台まさに格納されていました。
丸坊主の大きなご住職の趣味で集められた眩いばかりの「ロールスロイス」や「ベントレー」・・・・。
オヤジはそのうちの1台、黒と深い海老茶色のような御納戸色のツートンカラーに塗り分けられた「ベントレースポーツサルーン」に乗り込みました!!
「お前も乗ってみろ」と促されて恐る恐る前開きドアの取っ手に触れたときの緊張感と感動は今でも手のひらに蘇って来ます・・・・。
ドアを開けたときに、押し寄せてくる何とも言えない「いい香り」にクラクラします。
後ろから住職の低い声「仔牛の革8頭分使って張り替えたばかりの最高級レザーです」という声を夢現に聞きながら、座るとスプリングの程よい硬さとひんやりした革の感覚で白日夢のような酔ったような気持ちになったものです・・・。
もうこれに乗って帰れると思っただけで鼻血が出そうなぐらい興奮していました。
センターの丸い枠内にあったキーをオンにして、シルバーでほっそりとした美しいチョークボタンを引っ張り、足踏み式のセルモーターを回してエンジンを手動。
大きな車体を揺らしてこれまた大きなエンジンに火が入ると、エレガントな外見と裏腹なまでの猛々しさと低い排気音で失神しそうになった・・・。そんぐらい興奮していました・・・・。
幼少期にそんな出会があり暫く新宿の狭いお店に陣取っていた1937年式のベントレースポーツサルーン。
ふと思えば、あの山梨へいった頃のオヤジも45歳!!同じくターボRがやってきたのも46歳・・・・。
全く血は争えないというか、同じようなことをしているなーと不思議な縁に驚く。
横浜に車を取りに行った晩、前夜より興奮して遠足前の小学生のごとくに目が冴えて眠れなかった。
コインパーキングで僕を待っていた車は、どんな車よりも「威風堂々」としており圧倒的な存在感は他車が近寄り難いオーラを街灯の下でも誇っていた!!
キーを渡されて初めてドアを開けた時、一気に時空を超えて助手席のドアを恐る恐る開けた「小学生」の時の感覚を思い出した。あ~スゲー車だ!!夢のベントレーだ!!オイラが乗るんだ~!!興奮で鼻血が出そうだった!
敬愛する白洲次郎も愛したベントレーサウンドと痺れるような加速感、そして革の大好きな香りに包まれて幸せな蜜月を過ごさせていただいた・・・・。
時代遅れのリッター3・5キロの巨体ではありましたが、走る雅を十二分に堪能させてくれました!!
今はまた、不景気故に値段がかなり熟れてきたセンチュリーに戻りましたが、本当に素晴らしき自動車でした!
ありがとうベントレー!!
旧クラウンワゴン→ワインレッドのセンチュリー→そして世界最高峰を誇るオーナードライバーカーの頂点ベントレーにと車種を移してきまして思ったことを感想文として書いてみます。
一言で行ってしまえば『乗ってみてよかった」につきます。
最近はNHKでドラマ化されて、一躍脚光をあびるようになりましたが以前より憧れていた男として尊敬できる「白洲次郎」氏。
若かりし頃には英国に留学し、まだ自動車そのものが贅沢品の極みだった当時にあってヨーロッパの自動車レースに参戦してガンガンぶっ飛ばしていたのが「ベントレー」・・・。
現在でこそロールスロイスのオーナーカー版みたいな位置づけになっていますが、元々は大排気量のスポーツカーメーカーであり、当時より大衆車数十台分に値する高額で雲の上の車を製造するメーカーでした。
一昨年の秋・・・・「かなり程度のよいターボRの売りモノが出ましたけれど社長乗ってみませんか」というラッキーな話をもらい、直ぐに「乗る乗る」とその気になる!!
IWAMOTOが、まだ小学校低学年の頃オヤジが出物が出たから買いに行く!!付いてこい!!と連れられて向かったのは山梨県甲府市でした。
大きなお寺さんのこれまた広い敷地内にある大きな屋根付き駐車場の扉をあけてみると!!何と見たことない様なでっかいクラシックカーが5台まさに格納されていました。
丸坊主の大きなご住職の趣味で集められた眩いばかりの「ロールスロイス」や「ベントレー」・・・・。
オヤジはそのうちの1台、黒と深い海老茶色のような御納戸色のツートンカラーに塗り分けられた「ベントレースポーツサルーン」に乗り込みました!!
「お前も乗ってみろ」と促されて恐る恐る前開きドアの取っ手に触れたときの緊張感と感動は今でも手のひらに蘇って来ます・・・・。
ドアを開けたときに、押し寄せてくる何とも言えない「いい香り」にクラクラします。
後ろから住職の低い声「仔牛の革8頭分使って張り替えたばかりの最高級レザーです」という声を夢現に聞きながら、座るとスプリングの程よい硬さとひんやりした革の感覚で白日夢のような酔ったような気持ちになったものです・・・。
もうこれに乗って帰れると思っただけで鼻血が出そうなぐらい興奮していました。
センターの丸い枠内にあったキーをオンにして、シルバーでほっそりとした美しいチョークボタンを引っ張り、足踏み式のセルモーターを回してエンジンを手動。
大きな車体を揺らしてこれまた大きなエンジンに火が入ると、エレガントな外見と裏腹なまでの猛々しさと低い排気音で失神しそうになった・・・。そんぐらい興奮していました・・・・。
幼少期にそんな出会があり暫く新宿の狭いお店に陣取っていた1937年式のベントレースポーツサルーン。
ふと思えば、あの山梨へいった頃のオヤジも45歳!!同じくターボRがやってきたのも46歳・・・・。
全く血は争えないというか、同じようなことをしているなーと不思議な縁に驚く。
横浜に車を取りに行った晩、前夜より興奮して遠足前の小学生のごとくに目が冴えて眠れなかった。
コインパーキングで僕を待っていた車は、どんな車よりも「威風堂々」としており圧倒的な存在感は他車が近寄り難いオーラを街灯の下でも誇っていた!!
キーを渡されて初めてドアを開けた時、一気に時空を超えて助手席のドアを恐る恐る開けた「小学生」の時の感覚を思い出した。あ~スゲー車だ!!夢のベントレーだ!!オイラが乗るんだ~!!興奮で鼻血が出そうだった!
敬愛する白洲次郎も愛したベントレーサウンドと痺れるような加速感、そして革の大好きな香りに包まれて幸せな蜜月を過ごさせていただいた・・・・。
時代遅れのリッター3・5キロの巨体ではありましたが、走る雅を十二分に堪能させてくれました!!
今はまた、不景気故に値段がかなり熟れてきたセンチュリーに戻りましたが、本当に素晴らしき自動車でした!
ありがとうベントレー!!
イワモトのよろこび1157回

「オヤジの教え」
早いもので親父が亡くなってから13年の歳月が流れようとしている。
亡くなった時は35歳の鼻息ばかりが荒い小僧でした。
鼻っぱしばかりが強い若造でしたが、オヤジに先立たれてみるとおやじの存在を強く思い知らされました・・・。
例えてみると、寄りかかりながら腕組みして突っ張らかっていた丈夫な塀がいきなり無くなってしまい、後ろ向きにぐんぐん急坂を下っていくような恐怖感とでもいいましょうか。
オヤジの格言みたいな言葉をふと思い出したので今日は書いてみようと思います。
「商いの周期は2年は景気が良く、3年はとんとん、5年は不況だ」
商売をやっていると必ず付き纏う好景気と不景気。
斑のように交互にやってくるが、いい時ばかりに拡張や増資を強硬に行うと手痛いしっぺ返しを必ず食らうものだといっていました。
悪い悪いとは言っても必ず良くなる日がやってくるから、その日に備えて不景気の時にこそ思い切った改革や見直しを行うべきであり、不景気こそがチャンスなんだとも言っていました・・・。
島国の日本では永年の間に染み込んだ「村社会」的な一斉に気分がどんよりするという閉塞感が漂う。
中国にいる義理の弟も最近は日本に帰国する度に、街の人の表情がドンドン暗くなっていると感じると言っていた。
確かに、大震災以降日本は大きく変わってしまった。
テレビを付ければ必ず原発事故と放射能汚染の話が出てくるし、東京は直下型地震の恐怖にも怯えてくらさなければならない日々が続き、日本の基幹産業である大手企業の赤字や株価下落などのニュースばかりが大きく取り上げられ、遅々として前に進まない政治、毎年のように交代する日本の国家元首・・・・。
しかし、近頃すごく考えることがある。
せめて自分はできるだけどんよりした気分に巻き込まれぬように、地に足付けて楽しく過ごそう!!
個人が己の「幸せ感」を追求する事を何かと良としなかった風潮が長く続いてきた風土性のようなものに、あえて戦いを挑もうと思っている。
「個人」の幸せが集まって「家庭」となり「企業」や「町会」となり都道府県となり国となる・・・。
バブルを経てから、日本人は粋とか躾とか教えとか神話とか色々なものを金と引換て捨ててしまったように思う。
金はあくまでもい切るための手段や潤滑油であって、全てを解決して精神的な満足を満たすものではないと思う。
もの凄く足りないのは駄目であるが、ありすぎるのもこれまた違った意味で人をダメにする。
オヤジはこんなことも言っていた・・・
「お金はちょっと足りないぐらいでちょうどいい」
ちょっと足りないぐらいだから頑張ろうと思えるし、努力もできるし知恵も絞ろうとするが、有り余るほど持つと減らさぬことだけに懸命になると言っていた。
最近、迷惑メールでこんな文面がよく届く。
「多額の遺産を相続しましたが、貰ってくれませんか」
アホかと思うし耳を疑う気にもなれない様なバカバカしさですが、多くの類似メールがアチコチから来るってことは、信じちゃって連絡してハマっちゃうひとが多いのだろうと思う。
汗せずして知恵も出さずに、楽して大金だけを手に入れたいとかセレブの仲間入りをしたいとかって日本人が増えてしまったことに心が痛む・・・。
胸をはって生きる
最近心がけています。
不景気のスパイラルには否応なしに巻き込まれますが、世間や社会のせいにせず自分の立ち位置を見直しながら稼業・本業に精を出す。
周りにはお気楽だと思わせておけば良い。見えぬ部分で必死でまっつぐ時に柔軟に生きて行く。
最近、時代劇専門チャンネルばかり見ています。
当たり前の庶民の暮らしの中で、皆一様に頑張っている光景が織り込まれている。
汗をかき、物を造り、物を売る当たり前の暮らしぶり・・・。
頭だけ使って、らくらく金儲けの人が悪代官と悪徳庄屋以外で出てこないのもいいのかもしれない。
イワモトのよろこび1156回
今宵は雪の簾をくぐってたどり着いた湘南は大磯ロングビーチホテル3534号室よりお送り致します!
3年ぶりに日本で輸入車を販売する正規代理店としてお呼びがかかりました!!
高級輸入車雑誌の「エンジン」誌主催の輸入車一気乗りまくり大会に出席するべく参上した次第であります。
リクエストいただいた車は「ロンドンタクシー」。
永くお付き合いいただいているお客様からは「遂に四駆業界を裏切った!」とのお叱りを受けそうな車種ですが、IWAMOTO的には振れていません・・・・。コンセプトの根底にあるのは「働く車」。
道具でありギアであり相棒となる働く車が大昔から大好きです!!!
そんな働く車のハンドルを握って、ボタ雪から粉雪の舞う高速駆け抜けてきました!!
ジャーナリストのみなさんは明日の朝集合だそうですが、果たして辿りつけるのかどうか・・・・。
エライことになっております。
白いツナギに、いつものオレンジ色の中古アメリカ洋服屋さんで買ったオレンジジャンパーという代わり映えしない出で立ちというか、正装で参加ですが、他社の皆さんはスーツ姿の広報宣伝部の素敵な方たちばかりの中で、異色のモーター屋ルックです。
しかし、「シングルでいいよ」とお願いしていたにもかかわらず準備していただいたツインの部屋は寒々しく物悲しいほどに孤独感にないなまれますな~。
きっと夏ならばこの部屋で、色々なカップルが思い出を刻んできたであろうこの並んだベットがナントモわびしい冬景色・・・・。さみちい。
チューブとサザンが似合うこのホテルで昆布にで買い込んだツマミをあてにして、今宵はお送りしているIWAMOTO節。本当にどうもすみませんの至であります。
明日は、朝8時から撮影が始まります・・・。もう寝ないとならないのだけれど、あのぴっちりと人を拒絶するようなベットに潜り込むのには勇気がいります。寒そうで。
こんな思いも旅と言うには近すぎるかもしれませんがショートトリップの醍醐味と言い聞かせてそろそろ眠ると致します。
登らぬ日はないし、また新しい1日が始まるための儀式です。
きっと新しい出会いが待っていると信じて、そろそろぴっちりベットに向かうとします・・・
皆さんにとっても良い一日になりますように・・・・おやすみなさい!!
3年ぶりに日本で輸入車を販売する正規代理店としてお呼びがかかりました!!
高級輸入車雑誌の「エンジン」誌主催の輸入車一気乗りまくり大会に出席するべく参上した次第であります。
リクエストいただいた車は「ロンドンタクシー」。
永くお付き合いいただいているお客様からは「遂に四駆業界を裏切った!」とのお叱りを受けそうな車種ですが、IWAMOTO的には振れていません・・・・。コンセプトの根底にあるのは「働く車」。
道具でありギアであり相棒となる働く車が大昔から大好きです!!!
そんな働く車のハンドルを握って、ボタ雪から粉雪の舞う高速駆け抜けてきました!!
ジャーナリストのみなさんは明日の朝集合だそうですが、果たして辿りつけるのかどうか・・・・。
エライことになっております。
白いツナギに、いつものオレンジ色の中古アメリカ洋服屋さんで買ったオレンジジャンパーという代わり映えしない出で立ちというか、正装で参加ですが、他社の皆さんはスーツ姿の広報宣伝部の素敵な方たちばかりの中で、異色のモーター屋ルックです。
しかし、「シングルでいいよ」とお願いしていたにもかかわらず準備していただいたツインの部屋は寒々しく物悲しいほどに孤独感にないなまれますな~。
きっと夏ならばこの部屋で、色々なカップルが思い出を刻んできたであろうこの並んだベットがナントモわびしい冬景色・・・・。さみちい。
チューブとサザンが似合うこのホテルで昆布にで買い込んだツマミをあてにして、今宵はお送りしているIWAMOTO節。本当にどうもすみませんの至であります。
明日は、朝8時から撮影が始まります・・・。もう寝ないとならないのだけれど、あのぴっちりと人を拒絶するようなベットに潜り込むのには勇気がいります。寒そうで。
こんな思いも旅と言うには近すぎるかもしれませんがショートトリップの醍醐味と言い聞かせてそろそろ眠ると致します。
登らぬ日はないし、また新しい1日が始まるための儀式です。
きっと新しい出会いが待っていると信じて、そろそろぴっちりベットに向かうとします・・・
皆さんにとっても良い一日になりますように・・・・おやすみなさい!!
イワモトのよろこび1145回
新年に際し「経営者」として身の引き締まる思いになった尊敬する松下幸之助氏の言葉を転載します。
経営者でない方も是非ご一読いただければと思います・・・。
心新たにふんどし引き締めて、自分を冷静に眺めて、今年も精進しようと心に誓う!!
【松下幸之助氏の不況克服の心得十カ条】
第一条 「不況またよし」と考える
不況に直面して、ただ困ったと右往左往していないか。
不況こそ改善へのチャンスであると考える前向きの発想から、新たな道もひらけてくる。
第二条 原点に返って、志を堅持する
ともすれば厳しさに流されて判断を誤りやすい不況こそ、改めて原点に返り、基本の方針に照らして進む
べき道を見定めよう。そこから正しい判断も生まれ、断固といた不況克服の勇気と力が湧いてくる。
第三条 再点検して、自らの力を正しくつかむ
ふだんより冷静で念入りな自己評価を行い、自分の実力、会社の経営力を正しくつかみたい。
誤った評価が破綻を招くのである。
第四条 不撤退の覚悟で取り組む
なんとしてもこの困難を突破するのだという強い執念と勇気が、思いがけない大きな力を生み出す。
不況を発展に変える原動力は烈々たる気迫である。
第五条 旧来の慣習、慣行、常識を打ち破る
非常時ともいえる不況期は、過去の経験則だけでものを考え行動してもうまくは いかない。
これまでの当然のこととしてきた慣習や商売の仕方を、徹底的に見直したい。
第六条 時には一服して待つ
あせってはならない。無理や無茶をすれば、深みにはまるばかりである。無理をせず、力を養おうと考え
て、ちょっと一服しよう。そう腹を据えれば、痛手も少なくなる。終わらない不況はないのである。
第七条 人材育成に力を注ぐ
「苦労は買ってでもせよ」というが、不況とはその貴重な苦労が買わずとも目の前に あるときである。
好況のときには出来ない人材育成の絶好の機会としたい。
第八条 「責任は我にあり」の自覚を
業績低下を不況のせいにしてはいないか。どんな場合でも、やり方いかんで発展の道はある。
うまくいかないのは、自らのやり方に当を得ないところがあるからである。
第九条 打てば響く組織づくりを進める
外部環境の変化に対する敏感な対応は、よい情報も悪い情報も社員からどんどん上がってくる、お互いの
意思が縦横に通いあう風通しのよい組織であってこそ可能となる。
第十条 日頃からなすべきをなしておく
不況時は特に、品質、価格、サービスが吟味される。その吟味に耐えられるように、日ごろからなすべき
ことをなしていくことが必要である。
経営者でない方も是非ご一読いただければと思います・・・。
心新たにふんどし引き締めて、自分を冷静に眺めて、今年も精進しようと心に誓う!!
【松下幸之助氏の不況克服の心得十カ条】
第一条 「不況またよし」と考える
不況に直面して、ただ困ったと右往左往していないか。
不況こそ改善へのチャンスであると考える前向きの発想から、新たな道もひらけてくる。
第二条 原点に返って、志を堅持する
ともすれば厳しさに流されて判断を誤りやすい不況こそ、改めて原点に返り、基本の方針に照らして進む
べき道を見定めよう。そこから正しい判断も生まれ、断固といた不況克服の勇気と力が湧いてくる。
第三条 再点検して、自らの力を正しくつかむ
ふだんより冷静で念入りな自己評価を行い、自分の実力、会社の経営力を正しくつかみたい。
誤った評価が破綻を招くのである。
第四条 不撤退の覚悟で取り組む
なんとしてもこの困難を突破するのだという強い執念と勇気が、思いがけない大きな力を生み出す。
不況を発展に変える原動力は烈々たる気迫である。
第五条 旧来の慣習、慣行、常識を打ち破る
非常時ともいえる不況期は、過去の経験則だけでものを考え行動してもうまくは いかない。
これまでの当然のこととしてきた慣習や商売の仕方を、徹底的に見直したい。
第六条 時には一服して待つ
あせってはならない。無理や無茶をすれば、深みにはまるばかりである。無理をせず、力を養おうと考え
て、ちょっと一服しよう。そう腹を据えれば、痛手も少なくなる。終わらない不況はないのである。
第七条 人材育成に力を注ぐ
「苦労は買ってでもせよ」というが、不況とはその貴重な苦労が買わずとも目の前に あるときである。
好況のときには出来ない人材育成の絶好の機会としたい。
第八条 「責任は我にあり」の自覚を
業績低下を不況のせいにしてはいないか。どんな場合でも、やり方いかんで発展の道はある。
うまくいかないのは、自らのやり方に当を得ないところがあるからである。
第九条 打てば響く組織づくりを進める
外部環境の変化に対する敏感な対応は、よい情報も悪い情報も社員からどんどん上がってくる、お互いの
意思が縦横に通いあう風通しのよい組織であってこそ可能となる。
第十条 日頃からなすべきをなしておく
不況時は特に、品質、価格、サービスが吟味される。その吟味に耐えられるように、日ごろからなすべき
ことをなしていくことが必要である。